ピラミッドは、世界共通の「神社」だった!?
前回の記事で、山や洞窟が、電気的なエネルギーと関係しており、
神や宇宙人とアクセスしやすくなるのではないか、という仮説を立てましたが、
エジプトの大ピラミッドに着目してみると、
外観は人工的な山ですが、その内部の空洞は、まるで洞窟のような構造となっているのが興味深いのでございます
(・∀・)スンスンスーン
・・ギザの大ピラミッドは、紀元前5世紀のギリシャの歴史家・ヘロドトスが、「クフ王の墳墓」として報告しており、
また、19世紀には、イギリスの軍人ハワード・ヴァイスが、「重量軽減の間」で「クフ王」の名前を発見したために、
教科書的に、ピラミッドは、紀元前2560年頃から約20年かけて建造された王の墓であるという説が一般的となっています。
ですが、ハワード・ヴァイスの発見した「クフ王」の落書きの字が違っていたり、「ヴァイスがペンキを手に、ピラミッドに入った」という目撃情報があるなど、捏造説も根深いのでございます
( ´゚д゚`)エー
そのため、ピラミッドが何の目的で建てられたのかは、未だに不明のままです。
ちなみに、早稲田大学名誉教授の吉村作治先生は、
「ピラミッドは、王の墓ではなく、日本でいう神社で、神が宿る神殿のようなものであり、太陽信仰を象徴している」
と断言しています
(゚∀゚ )!!
・・・そんなピラミッドに関して、
ロシアにある「サンクトペテルブルク情報技術・機械・光学大学」(ITMO大学)と「Laser Zentrum Hannover」(LZH、※ドイツのハノーヴァにある研究機関)の科学者チームが合同で調査したそうですが、
数値モデルを利用して、エジプトのギザの大ピラミッドにおける電磁波の動きを解析した結果、
「ピラミッドでは、ピラミッドの土台の下と、内部のいくつかの部屋で、電磁エネルギーを共鳴・集中させている」ことが判明したそうにございます
( ´゚д゚`)エー
※phys.orgより引用
つまり、ピラミッドで電磁エネルギーが分配されているのは、ピラミッド内部にある「王の間」・「女王の間」、および、ピラミッドの土台の下にある「未完の地下室」であり、
いずれの部屋も、ピラミッド研究では重要視されている空間となります。
この研究結果は、応用物理学ジャーナルにも掲載されています。
参考URL: https://phys.org/news/2018-07-reveals-great-pyramid-giza-focus.html
研究に参加したITMO大学のポリーナ・キャピタイノヴァ博士(Polina Kapitainova)は、
ピラミッド内部でみられるように、ナノスケールで、電磁エネルギーを集中させる技術を、現代に再構築できれば、
より感度が高いセンサーの開発や、より効率的な太陽光発電パネルの実現などに応用できる可能性がある、と考えているようにございます。
・・マロ的には、この研究結果から、
ピラミッド内部の特定の部屋で、電気的エネルギーを高めているのは事実であり、
前回ご説明したように、心霊現象を体験しやすいコンディションを高める構造になっていると言えると思います。
そんなピラミッドは、エジプトだけではなく、世界中に見られます。
テオティワカン(メキシコ)
メキシコの首都メキシコシティから、北東50kmに位置するテオティワカンは、紀元前2世紀から紀元後6世紀にかけて栄えた宗教都市遺跡です。
遺跡内には、高さ75mの「太陽のピラミッド」があり、西暦200年頃建造されたそうで、公的に認められたピラミッドの中では、世界で三番目に大きいとされていますが、
このピラミッドが「なんらかの神を崇めるための施設」と考えられているものの、テオティワカン自体、情報が少なく、その仮説を支持する証拠は残ってないそうにございます。
チチェン・イッツァ (メキシコ)
チチェン・イッツァは、メキシコのユカタン半島北部にあるマヤ文明の遺跡です。
広大な森の中にある遺跡には、「エル・カスティージョ」という名前のピラミッドがあります。
後古典期マヤの時代にあたる9世紀頃に建造され、底辺55.5m、高さ24mあります。
4面にそれぞれ91段の石段があり、最上部の神殿を加えて合計365段で、太陽暦の1年を表しているそうでございます。
エル・カスティージョは、マヤの最高神「ククルカン」(羽毛のあるヘビの姿の神で、ケツァルコアトルのマヤ語名)を祀る目的で建てられ、「ククルカンのピラミッド」、「ククルカンの神殿」という異名があるそうです。
春分の日・秋分の日の日没時、階段の西側に、蛇の姿をしたククルカンの胴体が現れ、「ククルカンの降臨」と呼ばれています。
中国のピラミッド
第2次世界大戦末期、アメリカ陸軍航空隊の隊員が、中国の西安上空を低空飛行していた時、偶然、ピラミッドを発見したそうにございます。
乗組員は、そのピラミッドを撮影し、帰還後、軍の機密資料の一部として保存されたのですが、
その情報は、ニューヨーク・タイムズの記事にもなり、
「エジプトのギザのピラミッドが147メートルの高さがあるのに対して、中国のピラミッドは300メートルの高さがある」
と紹介されたそうです
( ´゚д゚`)エー
その後の調査で、今から約2000年前の漢代の皇帝陵であることが判明しましたが、地元では、8000年以上前のものとする伝承もあるそうです。
ヴィソチツァ山(ボスニア)
2005年、ボスニア出身の実業家セミール・オスマナジックらが、
「ボスニア中央部の街ヴィソコ周辺にある "ヴィソチツァ山" などの山々が、古代につくられた世界最大のピラミッドだ」と発表し、話題になりました。
このピラミッドが、建造されたのは1万2000年前という説も飛び出し、エジプトのピラミッドが造られたのが今から約4600年前なので、もし、本当の話であれば、世界最古ということになります
( ´゚д゚`)エー
南極のピラミッド
2012年8月に、欧米の探検家チームが、南極探検の途中で巨大なピラミッドを発見したそうです
工エエェェ(´゚д゚`)ェェエエ工
その数は3基だったとも言われますが、その内、最も大きなピラミッドは、1辺の長さが400mあり、ギザの大ピラミッドの底辺230mに比べると、かなり、巨大なものになるのでございます。
そんな南極のピラミッドは、グーグルアースでも確認できます。
・・ちなみに、我が国、日本にも、ピラミッドが存在していると言われています
工エエェェ(´゚д゚`)ェェエエ工
日本のピラミッドを語る上では、酒井勝軍は見逃せません。
酒井勝軍(さかいかつとき、1874-1940年)は、キリスト教伝道者で、日ユ同祖論を広めたことで有名ですが、
なんと、この人は「日本のピラミッド」の発見者でもあるのです。
明治7年(1874年)、山形県の士族の家に生まれた酒井勝軍は、仙台神学校に入学して、クリスチャンとなります。
アメリカに留学後、明治35年には、東京唱歌学校を設立し、最初のうちは、新進気鋭の牧師として活躍しますが、徐々に、異端の道を歩み始めます
(;・∀・)
語学に堪能だった彼は、日露戦争やシベリア出兵に通訳として従軍した後、シオニズム(※イスラエルの復興・再建運動)に傾倒し、
昭和2年には、彼のユダヤ研究の実績に目を付けた日本陸軍から、中東・パレスチナに派遣され、このとき彼は、エジプトにも赴いて、ピラミッドを研究したようです。
※彼の著書より引用
帰国後、酒井は、日本の超古代史研究にのめり込み、とうとう、ピラミッドは、日本が発祥であるとする「日本ピラミッド説」を主張し始めたのでございます。
(ill゚д゚)
そして、昭和9年には、広島県庄原市にある「葦嶽山(アシタケヤマ)」を、日本のピラミッド第一号として認定しています
工エエェェ(´゚д゚`)ェェエエ工
そんな彼の著書『太古日本のピラミッド』によると、
「ピラミッドは、日本の古代天皇が、神との交流をする場所だった」といいます。
日本の正史である『古事記』では、国生み神話の中で、イザナギとイザナミが、
「淤能碁呂嶋(オノコロシマ)に天降りまして、天の御柱(アマノミハシラ)を見立て、八尋殿(ヤヒロドノ、※広大な殿舎)を見立てたまひき。」
とありますが、
酒井によると、その八尋殿こそ、ピラミッドだというのでございます
( ´゚д゚`)エー
・・八尋殿が「ピラミッド」だとすると、天の御柱は「オベリスク」になるのでしょうか?
また、『竹内文書』では、鵜草不葦合(ウガヤフキアエズ)王朝の第十二代天皇である彌廣殿作尊(ヤヒロトノツクリミコト)が、八尋殿(ヤヒロドノ)を建設したことになっているのですが、
酒井は、その天皇が建てた八尋殿こそが、葦嶽山(アシタケヤマ)のピラミッドである、というトンデモ結論を導いているのでございます
工エエェェ(´゚д゚`)ェェエエ工
酒井によると、八尋殿、つまり、ピラミッドは、もともと日本で誕生したもので、「神人交通の機関」であり、日本のピラミッドの頂上付近には、太陽石を取り囲むように列石が配置されており、太陽を祀る神殿だそうです。
ピラミッドが太陽信仰の神殿であるとは、現代のピラミッド研究の権威である吉村作治先生と同じことを言っているのが興味深いところでございます。
( ゚∀゚)!!!
また、酒井は、日本でピラミッドが作られたのは、今から2~3万年前で、その後、それがエジプトに伝わったという説を唱えていますが、
それと同時に、日本でピラミッドが建てられた当時の日本の天皇は、「天之浮船」(アメノウキフネ、※一種のUFOか?)で世界中を巡行しながら統治していたのですが、
その後の天変地異によって、天皇の子孫たちが世界各地に孤立してしまったことも説いています
エェ━━━( ゚Å゚;)━━━!!?
しかも、酒井らは、『竹内文書』に登場する山々をベースにして調査を行い、
葦嶽山(広島) の後、日本のピラミッドとされたのは、
弥山(広島県)、尖山(富山)、位山(岐阜)、三輪山(奈良県)、五葉山(岩手)、大石神(青森)、黒又山(秋田)、三瓶山(島根)、剣山(徳島)、皆神山(長野)、千貫森(福島)・・
など合計20ヶ所にも及びます
工エエェェ(´゚д゚`)ェェエエ工
特に、日本のピラミッド第一号の「葦嶽山」は新聞にも取り上げられ、
「広島で2万年前のピラミッド発見」
という見出しニュースが、全国の新聞でも報じられ、昭和初期に一大ブームとなりましたが、
その後、酒井の著書『太古日本のピラミッド』は、当局の命令により発禁処分となります。
また、それだけに留まらず、何者かによってピラミッドの一部が損傷を受け、巨石が谷底に投げ落とされるなどの破壊工作が行われたというのですから、穏やかではありません
ヒィー(((; ゚Д゚)))ガタガタ
酒井勝軍の「日本ピラミッド説」は、当ブログの過去記事でご紹介したように、
縄文人が大災害をきっかけに、世界各地に移動して、それぞれの土地の文明の担い手となったとする考えに合致いたします。
参考記事:
ピラミッドも、そんな、日本発の文化なのかもしれません。
・・もともとは、人々の自然崇拝の一環として、天然の山や洞窟を神殿としていたものが、
土木技術の発展とともに、自然の山を人工的に切土して、ピラミッドを作り、
やがて、切り出した岩石や日干しレンガを使って、山そのものを人工的に造成して神殿としたものが、
ピラミッドということになると思います。
その後、神殿は、人間の住居のような豪華な建築物となり、人々が神を意識しやすいように、偶像崇拝と結びつき、現在に至るのでございましょう。
・・しかし、2015年5月に、アメリカ航空宇宙局 (NASA) の火星探査機ローバーである通称キュリオシティ(Curiosity) が、火星表面にピラミッドが写った画像を地球に送ってきて、世界を驚かせました
エェ━━━( ゚Å゚;)━━━!!?
なんと、ピラミッドは火星にも存在し、地球だけのものではなかったのでございます。
もしかすると、そんなピラミッドは、さらに古くは、宇宙由来ということなるのかも知れません。
つづく
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