驚異の健康食品「納豆」① ~知られざる納豆の歴史~
ここのところ、マロは納豆ばかり食べているのでございます。
こともあろうに、一日3食のうち、2食が納豆ごはんという極端な日もあるのでございます。
「調理の必要がない」という便利さもございますが、もはや、「強制的に納豆を食べさせられている」という感覚さえあります。
・・昨今では、納豆といえば、健康食品の代表として扱われることが多いのでございますが、
今宵は、そんな納豆の歴史について考えてみたいと思うのでございます。
マロが、物心ついてから、初めて納豆というものを意識したのは、マロが、小学校に上がる前の、幼稚園の年長組の頃でございましたでしょうか、
夕ご飯の献立として、納豆が配膳された瞬間、
明らかに、糸を引いて、ズルズルのルックスをみせつけられて、
「お母さん、これは、食品として、食べてもよい状態なの?」
と、大いに疑問を持ったものにございます・・
しかも、納豆は、パックを空けた瞬間から、鼻をつくアンモニア臭が漂い、食事を終えた後の、容器や食器からも、容赦なく異臭が漂います。
ヒィー(((; ゚Д゚)))ガタガタ
そう、どう考えても、納豆は、「腐っている」物の特徴を備えているのでございます
( ´゚д゚`)エー
・・事実、小学生の時、食卓に納豆を出された明石家さんま氏は、そのまま、家出してしまったといいます。
江戸時代には、納豆が、一般庶民にも広く食べられるようになり、今日に至っているのですが、
このような見るからに怪しげな食品である納豆を、最初に食べたのは、誰かという疑問にぶち当たるのでございます。
そのルーツをめぐっては、いくつかの説に分かれるようにございます。
・・滋賀県八日市市は、聖徳太子が開いた市であり、毎月、八のつく日に市が開かれたそうですが、この地の伝承によると、その聖徳太子が、「納豆の発祥」に関わったとされています。
かつて、聖徳太子が、この地を通りかかった折、愛馬に煮豆を食べさせたのですが、余ってしまったので藁に包んでおいたそうです。
数日後に見てみると、煮豆が、藁の中で糸を引いていて、納豆になっていたそうにございます。
しかし、偶然、納豆が出来たと仮定して、
皇族である高貴な聖徳太子が、そのように「腐り果てた状態の煮豆を本当に食べる必要があったのか?」という疑問は残ります・・
そもそも、馬のエサだったわけですから。
また、「納豆」という単語が初めて登場するのは、平安時代に藤原明衡(ふじわらあきひら、989~1066年)が、
『新猿楽記』という書物の中で、
ゲテモノ喰いで有名な酒飲み女のエピソードの中で、女が食べたというゲテモノとして列挙した食品の中に、「納豆」とう文字が登場するのでございます。
一説には、麹で発酵させて「塩辛納豆」であり、現在のような「糸引き納豆」とは異なると言われますが、
いずれにせよ、当時は、ゲテモノ扱いだったのは事実のようでございます
( ´゚д゚`)エー
また、納豆発祥に関して、最も有名な説としては、平安時代後期の武将・源義家(八幡太郎)にまつわる伝説です。
源義家公といえば、文武両道の武将として有名であり、後の、源頼朝や足利尊氏にもつながる大変重要な人物です。
・・彼が奥州(東北地方)へ趣き、「後三年の役」を戦っているときのこと。
兵糧であった大豆を煮ている最中、敵の急襲を受けたために熱い煮豆を、そのまま藁に詰めて、馬の鞍にくくりつけて応戦、
数日後に、兵士が、藁を開いてみると煮豆が納豆に変わっており、
これが、ことのほか美味であり、兵士たちだけでなく、地元の農民にも食べられるようになった・・
というものです。
アニメ『まんが日本昔ばなし』の「納豆」でも、この源義家説を元にしているらしく、
舞台は、後三年の役と同じく、岩手でした。
・・夏場に、食糧の供出を強制された農民が、握り飯と煮豆を戦場に届けたのですが、
幹部クラス用の握り飯は完全に腐っており、
兵卒クラス用の「藁で包んだ煮マメ」も糸を引くほど酷い状態になっていたものの、空腹に耐えかねた兵士が、ヤケクソで食べてみると、意外にも美味しかったというストーリーとなっておりました。
「陣屋に納めた豆であるので納豆と呼ばれた」
とアニメでは伝えております。
しかし、源義家説を採りますと、日本史最高峰のレジェンドである「聖徳太子」が「納豆を開発した」という滋賀県の逸話が、完全にスルーされてしまうのでございます
( ´゚д゚`)エー
・・ただし、いずれの説も「納豆の発祥」であるという証拠はなく、
そもそも納豆を作るために必要な材料は、「煮大豆」と「稲藁」だけです。
高温多湿の条件さえ満たせば、簡単に納豆が出来上がるのでございます。
弥生時代には、日本でも本格的に稲作が始まっており、、煮大豆を食べる習慣もありましたから、
その頃には、偶然、納豆が出来てしまった可能性は、大いに考えられるのでございます。
しかし、弥生時代以降、日本各地で、偶然、納豆が誕生することが多かったと仮定して、場合によっては、一部で食べられたとしても、
あまりに臭すぎて、食文化としては定着せず、
マロ的には、「納豆は、誕生と衰退を繰り返したのではなか」と推察しているのでございます
( ´゚д゚`)エー
極論すれば、当時の教育水準や識字率とも関わっていると言い切っても、過言ではないのでございます。
そういった意味で、「戦場」という腐った食材をも食べる必要があった極限状況の中、
当時としては、ある程度の知的階級であり、しかも、有名人であった源義家公の権威を借りる形で、食文化としての「納豆」が定着したとすれば、たしかに自然です。
そして、極限状況に置かれ、「一日3食の内の2食が納豆ごはん」となっているマロも、
「同じ源氏と申せども、八幡太郎はおそろしや」と今様にも謳われた源義家公の武勇伝説につながるものであると自負しているのでございます。
・・・・。
おまえの場合は、単に「貧乏」なだけやん
(; ゚Д゚)
・・次回は、納豆の健康効果について、考えてみたいと思います。
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