アヌンナキの伝説⑩ 縄文人(ユダヤ人)の帰還!!
前回の記事では、「縄文人が、災害をきっかけに世界進出した」というお話をしましたが、
今宵は、縄文人のその後について考えてみたいのでございます
(・∀・)スンスンスーン
大陸へ渡った縄文人たちは、インドを経由して、メソポタミアの地に辿りつき、シュメール文明を開花させます。
シュメール文明は、その後、エジプト文明や、ユダヤ文化に引き継がれ、ギリシャ文明を含めた地中海地域の文化にも大きな影響を与えたようです。
しかし、そんな縄文人たちは、周辺民族との抗争に常に悩まされます
(´・ω・`)ショボーン
平和な日本からやってきて争う術を知らない縄文人は、他民族から迫害を受けますが、
とりわけ、中東あるいは地中海地域において、西ヨーロッパを起点に東へ展開してきた「アーリア人」と衝突した際のダメージが最も大きく、縄文人は徐々に東に押し戻されます。
※アーリア人の侵入
そのため、縄文人たちは、メソポタミア(シュメール)、インダスと都を遷しながら東に移動し、
最終的には日本を拠点にした「東大国」(シウコク)を作るに至ったことが、
内モンゴルを中心に中国の北辺を支配した契丹人の古文書『契丹古伝』に記されています。
・・結局、さまざまな迫害を受けた縄文人たちが最後に目指したのが、
自分たちの祖国である「伝説の故郷(ディルムン)」、つまり、日本であり、
その中には、戦乱によって行き場を失っていた古代ユダヤの十支族も含まれていたのです
(ill゚д゚)
※失われたイスラエルの10支族を表すモザイク画
極論すれば、彼らの日本への渡来は、祖国への「出戻り」だったのです
工エエェェ(´゚д゚`)ェェエエ工
彼らの「帰国」は、日本の縄文時代後期、弥生時代、そして古墳時代にかけて、段階的に行われたようです。
しかし、渡来人を大きく分けると、
①ペルシャ、インド、東南アジア地域を海伝いにやってきた海渡人(ウミワタヒト)である海部氏(あまべし)と物部氏(もののべし)
※両氏は同族とされる
②その後に渡来してきた山渡人(ヤマワタヒト)である秦氏(はたし)
の2グループに分類できます。
※物部氏に関しては、秦の始皇帝が不老長寿を求めて日本に派遣した徐福の子孫であるという説もあります。
その過程で、長江流域に生活していた苗(ミャオ)族などの民族が日本に稲作をもたらしてもおります。
苗族は、呉・越など越人の種族だと思われます。
ですが、それら、中国系の渡来人も、元々は、日本から大陸に渡った縄文人である可能性が高いのです
( ´゚д゚`)エー
『日本書紀』の記述によると、ニギハヤヒを祖とする物部氏は、神武東征よりも先に、畿内に「大和王朝」(奈良県)を築いていたのですが、
その「大和」の読みである「やまと」は、もともと「ヘブライ語」であり、
「ヤ」が絶対神「ヤハウェ」を指し、「マトゥー」は「民」を表します。
つまり、「ヤマトゥー」=「やまと」は、「ヤハウェの民」を意味しているのです
( ´゚д゚`)エー
卑弥呼が支配していた「邪馬台国」も、本来は「ヤマト国」「ヤマトゥー国」と読むべきなのです。
要するに、「邪馬台国」は、「ヤハウェの民の国」の意味であり、
卑弥呼やニギハヤヒと関係が深い「海部氏・物部氏」は、ユダヤ人だったのです
工エエェェ(´゚д゚`)ェェエエ工
京都の天の橋立にある海部氏(物部氏)が信奉する籠神社のシンボルマークが、ユダヤの六芒星であることも偶然ではないのです。
・・一方、秦氏は、中央アジアの弓月国を経由して、シルクロードを渡って、日本にやってきたユダヤ系ペルシャ人と考えられます。
秦氏は、日本の神社の創建にも深く関与した一族であり、こちらは、キリスト教ネストリウス派(景教)の影響を強く受けていたようです。
参考記事: お稲荷さんは、キリスト教!?
結果的に、日本の神道は、海部氏・物部氏のユダヤ教と秦氏のキリスト教がベースとなっているのです
( ゚д゚)ポカーン
渡来人たちは、日本に高度な文明をもたらしましたが、多くの渡来人が日本に流入する弥生時代以降、それまで平和であった日本に「闘争の歴史」が刻まれるようになります。
そして、後からやって来た渡来人ほど凶暴となっており、彼らは「戦い慣れ」していて好戦的であり、略奪性に富んでいたようです
ヒィー(((; ゚Д゚)))ガタガタ
出戻り組の渡来人たち(古代ユダヤの民)の目的地が「日本」であったことは、
日本の近隣の東アジア諸国に、Y染色体のD系統が存在しないことが物語っており、
Y染色体遺伝子の特徴からは、「出戻り組」が、中国大陸や朝鮮半島はスルーして、まっすぐ、日本を目指したことを示しています。
また、上記の仮説を裏付けるように、『旧約聖書』の「イザヤ書」には、「日本」のことを指していると考えられる記述がみられるのです。
※イザヤは、旧約聖書の預言者で、紀元前740~701年にかけて預言している。アッシリアの侵略を目前にして、北イスラエル、南ユダの人々がイザヤの預言によって亡命したと考えられている。
・・当時、ユダヤの民は、アッシリアから攻撃を受けて、イザヤの子孫に率いられて東へ向かうのですが、
イザヤ書24章25節:
「東で神をあがめ、東の果ての島々(海沿いの国)でイスラエルの神、主の名をあがめよ」
つまり、「東の果ての島へ行って、新しい国を建国しろ」と言っているのです。
そして、イザヤ書に見られる「東の果ての島々の国」とは、日本であることは間違いないと思われます
( ´゚д゚`)エー
さらに、古代ユダヤの時代から受け継がれるユダヤ民族の予言として、
「メシアが現れる時、ユダヤの失われた10支族が、ある人々の導きで再びイスラエルに戻ってくる。それは、東の果て海沿いの国、聖書を知らない人だ。」
というものがあります。
※メシアの到来を祈るユダヤ人
・・・東にある島国、、
日本から、大陸に渡って行ったのだから、古代ユダヤの人々が、日本の存在を知っていて当然なのでございます。
さらに、旧約聖書の創世記では、
「洪水後、シナル(シュメール地方を指す)に住み着いたのは、"東からやってきた人々"である」
とされているのです。
・・シュメール語と日本で発見されたペトログリフが、同系統であることが、その裏付けとなるかも知れません。
参考記事: アヌンナキの伝説⑧ 縄文からシュメールへ!
また、古代におけるユダヤ世界と日本の関連を示すものとして、日本の石川県に存在する「モーゼの墓」が挙げられます。
この墓は、「三ツ子塚古墳」という正式名称のある由緒正しい古墳ですが、今は公園となっています。
ちなみに、モーゼが日本へ来たのは、『旧約聖書』の中に記載されている波瀾万丈の半生の後のことであり、
シナイ山から天浮舟(あめのうきふね、UFO?)に乗って、旧押水町にある宝達山(ほうだつさん)に降り立ったといいます。
そして、時の天皇に拝謁し、その姫を娶り、500余歳の長寿を全うしたそうです
( ´゚д゚`)エー
しかも、あの十戒を受けたのは「宝達山」であったという説まで出てくるのだから驚きです
工エエェェ(´゚д゚`)ェェエエ工
・・このトンデモ説をブッこんできたのは、キリストの墓が日本にあると主張したのと同じく、武内宿禰の子孫が書き残したと伝わる古文書『竹内文書』でございます
(;・∀・)
参考記事: 猿田彦の正体② キリストは、日本にやってきていた!?
マロ的には、「縄文人が、喜界島大噴火などの自然災害を機に、世界に飛び出して、各地の文明の基礎を築いた」という説を唱えるのが精一杯でございますが、
阿蘇山の南側外輪山にある幣立神宮の伝承によると、
カムロギとカムロミという二柱の神が、火の玉(UFOか?)に乗って日本に降臨し、
人類の大元となる黄人、つまり、日本人を生み出したと豪語します
((((; ゚д゚))))アワワワワ
・・やはり、「エデンの園」は、日本だったのでしょうか。
その後、日本人は、世界各地に散らばり、それぞれの土地の気候や風土の影響を受けて、白人、黒人、赤人、青人が派生したというのです。
つまり、黄人を元にした五色人が、現代に繋がる文明を創ったとされているのです。
五輪オリンピックマークは、「五色人の集い」を表現しているというのは妙に説得力がある話でございます。
また、『旧約聖書』創世記9章では、
18節:「箱舟から出て来たノアの息子たちは、セム、ハム、ヤフェトであった。」
19節:「この三人がノアの息子で、彼らから全世界の民は分かれ出た。」
と記述されています。
「ヤフェトの子孫は白人(コーカソイド)、ハムの子孫は黒人(ネグロイド)、そして、セムの子孫は黄色人種(モンゴロイド)である」
という俗説があるのでございますが、
少なくとも、ノアは、黒人や白人のどちらでもなかったことは明らかです。
セムの子孫は、アブラハム、そして、後のイスラエル人を生み出す聖書の本流となる種族であるのですが、
たしかに、俗説とはいえ、ノアやセムは、黄色人種であった可能性が否定できないのでございます。
( ´゚д゚`)エー
※絵画にみられるセム、ハム、ヤフェト
ちなみに、『竹内文書』では、「日本人は、黄人というよりは、(神である)黄金人種の末裔である」であると暴露しています
工エエェェ(´゚д゚`)ェェエエ工
私たちは、「エバラ黄金のたれ」じゃないのですから
(; ゚Д゚)!!
同書では、縄文人とは、古代日本を出発して、シュメールに渡り、イスラエルで大洪水に遭遇し、ノアの箱舟に乗り、中国大陸を経由して、再び日本に里帰りした「スメラミコトの一族」または「スメラ族」だというのですが、
偽書と囁かれていても、日本の古史古伝において、そのような記述がみられることは、たいへん興味深いのでございます。
・・一般的には、日本には、古代ユダヤ人などを含め、様々な民族が流入した多民族国家だったといわれていますが、
実は、これら海外からの渡来民族は、元々みんな、日本人であったのでしょう。
その証拠に、日本の天皇家の象徴でもある「十六花弁菊花紋」は、世界の各地で見られるのです。
※靖国神社にみられる菊の御紋
※日本国民を表すパスポートにも菊花紋が描かれる
※イラクの古代遺跡バビロンにあるイシュタル門にも、十六花弁の菊の紋様がみられる
※古都エルサレムの旧市街にある城門の一つで、北側に位置する「ヘロデ門」にも十六弁の菊の花が刻まれている
※パリにあるノートルダム寺院のステンドグラスの「バラ窓」にも、十六花弁の紋様がみられる
※スペインのアルハンブラ宮殿の窓に十六花弁の菊の紋様が描かれる
※エジプト第21王朝のファラオ・プセンネス1世の墓から出土した装飾品(エジプトのカイロ考古学博物館)
※ツタンカーメンの墓から発見された青銅製の太陽紋。十六花弁菊花紋と同じ
※ギリシャ領マケドニアの旗の「ヴェルギナの太陽」も、16方向に光が伸びる
※ウルグアイの国旗の太陽神も、16方向に輝く
※日本の旭日旗も16条の光の筋が伸びる
※古代中国神話に登場する人類を創造したとされる神である伏羲・女媧(ふき・じょか)の頭上にも、十六方向に分割された天体が見られる
※キリスト教世界のモザイク画においても、16条に光り輝く太陽を崇拝
※天から地上に降り立った神であるとされる「アヌンナキ」がしているブレスレットにも、日本の皇室と同じ紋章が描かれている
工エエェェ(´゚д゚`)ェェエエ工
・・結局、日本の皇室を象徴している「十六花弁菊花紋」は、太陽崇拝を表し、ひいては、「神への信仰」を表現する世界共通のシンボルなのかも知れません。
つづく
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