キリストは、双子だったのか!?
マロが、かつて南インドへ旅した時に、キリスト教の教会が多いのに驚いたのを覚えています。
そして、旅の最中に、タミルナドゥ州のチェンナイに、キリスト教の伝道者である聖トマスの墓があるのを知りました。
結局、スケジュールの関係で立ち寄ることはできませんでしたが、トマスのことは今日の今 まで、印象に残っているのでございます
(・∀・)スンスンスーン
使徒トマス(Thomas the Apostle)は、新約聖書に登場するイエスの十二使徒の一人です。
「ユダ・ディディモ」と呼ばれ、本名は「ユダ」と言い、ディディモは「双子」を表します。
つまり、彼は誰かと「双子」であったと考えられます。
槍を持つトマス。
彼は、大工でもあったとされています。
『ヨハネによる福音書』20章24節~29節によると、使徒トマスは、イエスが復活したという話を信じなかったのですが、
イエスの手の釘の後に指を突っ込み、わき腹の傷口に自分の手を差し込んでその身体を確かめたそうです。
工エエェェ(´゚д゚`)ェェエエ工
そのため、西ヨーロッパ世界では「疑い深いトマス」と呼ばれます。
新訳聖書では、トマスについての記述は少なく、使徒の中では、たいへん地味な存在ですが、インドのクリスチャンの間では、英雄的な扱いを受けています。
・・キリストが復活した後、使徒たちは、くじ引きでそれぞれの宣教地を決めたそうです。
トマスは、インドで布教することに決定しましたが、トマスはインドへ行くことを、とても嫌がりました。
ちょうど、その頃、エルサレムには、インドで宮殿を建築するために、大工を探しに来ていた「ハバン」という商人がいたのですが、
主人であるイエスは、なんと、大工でもあったトマスを宮殿建築のための奴隷として売り渡してしまいました
工エエェェ(´゚д゚`)ェェエエ工
そうして、半ば強引に、トマスはインドに行かされたそうですが、結果的に、トマスは、インド人への宣教に成功したといいます。
トマスのインドでの宣教に関しては、史実的な裏付けはないとされていましたが、
新約外典『トマス行伝』にインドの王として記録されている「グンダファル」という人物が、近年発掘された当時の貨幣によって、実在していたことが判明しています。
また、1世紀頃の中国でも、どうもキリスト教が伝来した形跡がみられることから、トマスは、インドだけでなく、はるか東の中国にまで足を伸ばしていた可能性があります
( ´゚д゚`)エー
このことは、フランス人のピエール・ペリエ(Pierre Perrier)らも指摘しています。
ちなみに、禅宗の開祖である達磨大師には、使徒トマスと同一人物であるという説があります
工エエェェ(´゚д゚`)ェェエエ工
達磨大師は南インド出身であるとされていますが、南インドはトマスが宣教していた地でもあります。
また、達磨大師の風貌は彫りが深く、中東出身のトマスを彷彿とさせます。
たしかに、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールが描いたトマスの肖像もどこかダルマっぽい感じがします。
ちなみに、ダルマは「七転び八起き」の縁起ものとして馴染みが深いものですが、聖書の『箴言』24章16節にも、
「正しい者は七たび倒れても、また起き上がる」
と記述されていて、キリスト教との関連が指摘されています。
また、浄土宗大本山・金戒光明寺に保管されている五百羅漢図(明代の作品)には、
「洞窟で聖者(キリスト)の復活を祈る弟子達」
「聖者(キリスト)の昇天」
「それらを人々に伝える達磨(トマス)」
が描かれていて、もはや、確信犯的にすら感じます。
実際には、使徒トマスがインドでキリスト教の布教を行ったのは、1世紀のことなので、達磨大師が存在したという6世紀とは、数百年の隔たりがあります。
ですが、達磨大師の特徴が、トマスに酷似しているのは、それだけ、中国においては、使徒トマスの印象が深かった証拠かもしれません。
しかし、さらに驚くべきは、「使徒トマスは、イエス・キリストの双子の弟だ」といわれていることです
工エエェェ(´゚д゚`)ェェエエ工
新約外典『トマス行伝』では、使徒トマスについて「メシア(キリスト)の双子」と記述されているのです。
また、イエスには、「ユダ」という弟がいたとされますが、トマスの本名も「ユダ」なのです。
そして、イエス双子説については、「キリストの受難」の場面でも問題にされます。
『マルコによる福音書』14章51節~52節では、イエスの逮捕直後に、
「一人の若者が、素肌に亜麻布をまとって、イエスについて来ていた。人々が捕らえようとすると、亜麻布を捨てて裸で逃げてしまった。」
とあります。
これは、一体何者なのかと議論されます
(ill゚д゚)
また、『マルコによる福音書』15章34節によると、
磔にされたイエスが処刑される直前に、
"Eli, eli, lema sabachthani?"
「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ?」
と叫んでおります。聖書では、
「我が神、我が神、なぜ私をお見捨てになったのですか!」
という意味で訳されますが、原文の「エロイ、エロイ」は、「自分より、やや高い人」に対する呼びかけの意味で、「我が兄、我が兄」とも解釈できるそうです。
第一、「神の子」とされるイエスが、死に際して、神に対して恨み事を言うのは、確かに不自然です。
もし、イエスに瓜二つの弟がいて、兄の代わりとして磔にされたのだとすれば、納得のいく台詞となります。
イスラームの聖典クルアーンでは、ローマ人とユダヤ人の手によるイーサー(イエス・キリスト)の磔と死を明確に否定しています。
そして、一般的に、イスラム世界では、キリストの処刑の際に、替え玉とすり替わっていたと考えられています。
ちなみに、日本に伝わる「竹内文書」でも、「イエス・キリストには双子の兄弟がいて身代わりになった」と記されているそうです。
つまり、「イエスの復活」には、ある仮説が浮かび上がります。
それは、イエスの受難の際に、イエスと間違えられて、双子の弟であった使徒トマスが処刑されます。
そして、兄であるイエスは、数日後、姿を現して「復活した」とされたのです。
また、トマスが行ったとされる「キリストの聖痕」の確認も、トマスにすり替わったイエスが証言したとすれば、辻褄が合います。
マグダラのマリアは、その事実を知らなかったのか、あるいは、知っていた上で口裏を合わせたのかは、定かではありません。
・・そして、イエスは、復活後、生存していることがバレると官憲に逮捕される可能性があるため、
トマス役を演じて、遠くインドまで逃亡したのだとしたらどうでしょう?
ちなみに、「キリストは日本にやってきていた」という伝承があります。
青森には、「キリストの墓」もあるのです
トマス(実はキリスト本人?)が中国まで行っていたとすれば、更に、東を目指したとしても、けっして、あり得ない話ではないと感じます。
・・・・。
「キリストの復活」が、本当であるのか、トリックであるのかは、もはや、確認の使用がありません。
しかし、いずれの場合であっても、キリストが、たいへんな人物であったことに間違いなさそうです。
(※キリスト双子説を想像しながら、イラストを描いてみました!)
つづく
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