猿田彦の正体② キリストは、日本にやってきていた!?
「イエス・キリストは、日本にやってきていた」
という考えを大きく分けると、
①昭和3年に『竹内文書』を公開した竹内巨麿
②『キリストは日本で死んでいる』の著書で、
『竹内文書』に傾倒していた山根キク
③巨麿の『竹内文書』を偽書とし、自分たちが継承した口伝こそ正しいとする正統『竹内文書』を主張する第73世・武内宿禰こと竹内睦泰氏
たちの説であると言えるのでございます。
ちなみに、青森県三戸郡新郷村には、現に「キリストの墓」が存在しており、道路標識にもなっています
( ´゚д゚`)エー
ただし、これは、竹内巨麿が同定した場所であり、彼が公開したという『竹内文書』が、偽書であるとされているため、疑わしいのは事実です。
とはいうものの、新郷村は、もともと旧名を
「戸来(へらい)村」と言い、ヘブライとの関係を連想させたり、
同地区では、生まれた赤ん坊を初めて外に出す時には、
墨で額に十字を描くという習慣があったりします。
また、同地域では「ナニャドヤラ」という謎の盆踊りが伝承されているのですが、その歌詞が日本語としては意味不明である上、
ヘブライ語で読むと「民族の進軍歌」と解釈できるというのだから驚きです
( ´゚д゚`)エー
・・あながち、竹内巨麿の主張も、ウソではないのかもしれません。
また、キリストの墓は、「キリストの里公園」内に2つ存在していて、
一つは、この地で亡くなったキリスト本人の墓であり、
もう一つは、キリストの身代わりとなって処刑された
弟の「石切(イスキリ)」の墓と言われています
( ´゚д゚`)エー
「石切」という名前は、大工を表しており、
当時のイスラエルの大工は、石工職人であり、石を切っていたことに由来しているようです。
そういえば、キリストの双子とされた使徒トマスの職業は、「大工」でした。
「石切」が使徒トマスを表しているとすれば、やはり、イエス・キリストの代わりに、使徒トマスが処刑されていたのではないでしょうか?
参考記事:
その後、キリストは日本に辿り着き、青森において、
「十来太郎大天空坊」(とらいたろうだいてんくうぼう)、
もしくは、
「八戸太郎天空坊」(はちのへたろうてんくうぼう)
と名を改めたといいます。
どうも、竹内巨麿と同様に「飛天の術」を使って空を飛べたのが名前の由来だそうです
工エエェェ(´゚д゚`)ェェエエ工
山根キクは、天空坊が変化して「天狗」になったと主張しています。
・・いずれも、竹内巨麿が唱えた説を元にしているようですが、
竹内睦泰氏によると、口伝ではやや内容が異なっていて、青森にあるのは弟の「石切彦」のみの墓であって、
キリスト本人はこの地で死んでおらず、海を渡ったといいます
( ´゚д゚`)エー
前回の終わりにご紹介した
「猿田彦は、イエス・キリストである」
という考え方は、
正統『竹内文書』の竹内睦泰氏が唱えている説です
竹内睦泰氏によると、日本にやってきたキリストは、顔が赤く、髪の毛も鬚も伸ばし放題で、まるで猿のようだったので、猿田彦と呼ばれたのだそうです。
・・ここで、整理するために、キリストと猿田彦の共通点を挙げてみると、
①両者とも、鼻が高く、赤黒い肌、背が高いというユダヤ人の特徴がある。
②聖書で、キリストは、エジプトの太陽神ホルスの性格をそのまま受け継いでいるが、
猿田彦は、「天地を明るく照らした」と言われ、やはり太陽神である。
③猿田彦は、槍を抱えていて、道開きの神とされるが、
キリストの双子で、後にキリストがすり替わったと思われる使徒トマスも、槍を持ち、伝道のため諸国を訪ね歩いた。
④関係ある女性が、どこか性的。
キリストと関係が深かったマグダラのマリアは元娼婦であり、
猿田彦の妻は、アメノウズメでストリップダンスが得意である。
また、猿田彦、つまり、キリストは伊勢の地とも馴染みが深いようです。
伊勢神宮のほとりにある五十鈴川(いすずがわ)という地名は、これは、キリストの名前である「イエズス」を表現しているように思います。
五十鈴の中の「十」は十字架なのかもしれません。
読みだけでしたら、「十」は必要ないのです。
そして、伊勢を、ローマ字表記すると、
"ISE"
ですが、アルファベットを並べ替えると、
"IES"、
つまり、「イエス」となるのです。
伊勢神宮に祀られている太陽神アマテラスが、もともとは男性神であり、猿田彦であり、尚且つ、イエス・キリストだったようです。
ちなみに、山根キクは、伊勢の名物「赤福餅」の赤福とは、「赤人福神」ともいわれたキリストの別名でもあると記しています
( ´゚д゚`)エー
・・たしかに、伊勢神宮とイスラエルの神殿には、構造的に類似性があることが指摘されており、
また、ユダヤを象徴する六芒星が伊勢神宮の灯篭に彫られていることからも、伊勢は、どこかユダヤを連想させます
さらに驚くべきことには、
三重県には、鈴鹿市の椿大神社と、伊勢市の猿田彦神社という
猿田彦を祀る代表的な神社が二社あるのですが、
いずれの宮司も、
「自分たちは猿田彦の子孫である」
と主張しているそうです。
つまり、彼らは、キリストの子孫でもあることになるのです
工エエェェ(´゚д゚`)ェェエエ工
さらに、前述の「キリストの墓」の敷地の所有者である
青森の沢口さんもキリストの子孫であると言われています。
・・キリストは、日本で「ユミ子」という妻を娶り、娘が三人できて、その子孫が沢口家であるという伝承があるのです。
つまり、下手をすると、キリストの子孫が、日本のあちこちにいることになってしまいます
アヒャアー(((; ゚Д゚)))ヒィーガタガタ
しかし、キリストの伝説はこれだけでは終わりません。
竹内睦泰氏が聞いた口伝では、イエス・キリストは、その後、海を渡り、日本から東に向かったとされ、アメリカ大陸に渡ったというのですから驚きです
エェ━━━( ゚Å゚;)━━━!!?
たしかに、北海道のアイヌの伝承では、
「オキクルミ」という名前の、
人々に生活や文化を教えた人間くさい神様がいたそうで、
「再び戻る」と言い残したそうです。
南米における伝説の神であるとされる
ククルカン、ケツァルコアトル、
そして、ビラコチャは、共通の特徴を持ち、
鬚をたくわえ、銀色の髪、白い肌で、原住民よりもはるかに背が高かったと言われており、人々に慈愛や親愛を説いたそうです。
※インカ帝国で信仰されていた神「ビラコチャ」
それらの神々は、伝道にやってきたキリストのことだったのでしょうか。
・・黒人ともいうべき南米原住民からすると、もしかすると、キリストの肌は白く見えたのかも知れません。
さらに、口伝では、キリストは最後、南極に渡っていたといいます
アムンセンじゃないのですからっ (; ゚Д゚)
キリストは、南極へ、布教のためにいったのでしょうか
((((; ゚Д゚))))ガクガクブルブル
さすが、キリストは、「道開きの神」猿田彦と呼ばれるだけあって、その行動力は、我々の想像をはるかに超えていたのかも知れません。
つづく
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