イエス・キリストは、サタンの子!?
今朝、ジョギングをしようと思って、外に出てみると、日の出前の東の空に、明けの明星が輝いているのを見つけたのでございます。
明星は、チラチラと瞬いていて、まだ薄暗い空に幻想的に輝いておりました
(・∀・)スンスンスーン
そして、しばらくすると、朝日が昇ってきて、いつのまにか「明けの明星」は姿を消していたのでございます。
その時、ふと、イエス・キリストは、「明けの明星である」といった聖書の一節を思い出しました。
「黙示録」22章16節では、イエス自身が、
「・・わたしはダビデの根、また子孫、輝く明けの明星である。」
と宣言しています。
しかし、一方、堕天使ルシファーも、もともと「明けの明星」を表すラテン語であり、「光をもたらす者」という意味になります。
そして、いみじきことに、西方キリスト教世界において、堕天使ルシファーは、悪魔サタンと同一視されているのでございます。
等号式に当てはめてみると、
「イエス・キリスト=明けの明星=ルシファー=サタン」
となってしまいます
工エエェェ(´゚д゚`)ェェエエ工
もちろん、マロ的には、キリストが悪魔であるとは、これっぽっちも思っていません。
上記の論理のどこかで、誤謬が存在することには間違いなさそうです。
・・・ここで、2世紀頃に発展していたキリスト教の「グノーシス派」について考えてみたいと思うのでございます。
「グノーシス」とは「知識」の意味を持ちます。
グノーシス派は、
「聖書でいうところの地球を創造した神は、単なる下級の神に過ぎず、この世界は、悪魔が作り出した地獄であり、魂の牢獄と捉える」
のでございます
( ´゚д゚`)エー
また、グノーシス派は「善悪二元論」の立場をとり、宇宙は、異なる二つの原理、つまり、①「善=光」と ②「悪=闇」から成り立っているとします。
そして、宇宙にある全ては、このどちらかに属することになり、両者は全く相容れないそうにございます。
例えば、魂は「善=光」に属するのに対し、肉体や物質は「悪=闇」に属することになります。
そして、グノーシス派は、悪に属している肉体に閉じ込められた魂を解放するために、個々人の知恵や知識が重要であるとしました。
・・しかし、そんなグノーシスは、キリスト教の正統派、つまり、カトリック世界の、「教会組織を通じて、魂が救済される」という権威主義とは相反する思想であるために異端とされてしまいました
(´・ω・`)
しかも、グノーシス派は、「マグダラのマリア」を重要視しました。
彼女は、キリストの弟子でしたが、もともと娼婦であり、カトリック世界では、どこかタブー扱いをされているのも事実です。
しかし、イエスが官憲に逮捕されて、磔の刑に処されるまでの受難の中で、ほとんどの弟子たちが裏切って逃亡したのに対して、マグダラのマリアは、常にキリストに忠実でした。
そして、マグダラのマリアは、イエス・キリストが十字架につけられるのを見守り、イエスが埋葬されるのを見つめ、イエスの復活を目にしているのでございます。
西方キリスト教会では、ユダヤ教に古くから存在する男性原理を重視して組織形成をしていたため、教義上、マグダラのマリアを「悔悛した罪深き女」としていますが、
聖書から読み取れる事実からすると、どう考えても、弟子たちの中では最重要人物です。
つまり、聖書の中では、キリストが復活する場面が、いちばんの見せ場なのですが、マグダラのマリアは、イエスの復活の訪れを他の使途に伝える役目を持っていました。
グノーシス派は、そんな、マグダラのマリアを、けっして「罪深き女」とは捉えていません。結局、イエスが、最も愛着を感じ、信頼していたのはマグダラのマリアではないでしょうか。
・・ちなみに、ペトロなどは、十二使徒のリーダー的存在でしたが、キリストの受難の際に、官憲に捕まりイエスのことを3度詰問されても、「私は知らない」と白を切り通したのでございます。
しかし、カトリック世界では、そんなペトロを初代ローマ教皇とみなします
( ´゚д゚`)エー
また、『マグダラのマリアの福音書』というのも発見されており、カトリック世界では異端とされましたが、グノーシス派は、この福音書を特に重視していました。
どうも、マグダラのマリアは、キリストの霊と交信していたらしいのです
(; ゚∀゚)
また、グノーシス派は、イエス・キリスト自身についての解釈もキリスト教の正統派とは異なっています。
グノーシス派の考えでは、悪の世界は「物質」で構成されているとし、物質そして肉体も悪であると判断するのでございます。
しかし、そうなると、キリスト教の正統派は困ってしまいます。
キリスト教の正統派は、「神とイエスと精霊」は三位一体であるとし、イエスを神格化しているのですが、
厳格に「肉体を悪」だとしてしまうと、たしかに肉体をまとっていたイエスの神性が損なわれてしまうからです
( ´゚д゚`)エー
グノーシス派の解釈では、キリストは、我々と同じく「一人の人間」であったことに変わりはないとするのです。
しかし、キリストがもたらした「グノーシス(叡智)」が、我々人類を救済するというのです。
もちろん、キリスト教の正統派とグノーシス派は、「霊・肉」二元の対立、及び「霊(魂)の肉体からの解放」を目的とするという点に関しては一致しています。
しかしながら、もし、マグダラのマリアが、キリストの子供を身ごもっていて、キリストには子孫が存在していたとしたらどうなるでしょう。
実際、そういった伝承は、いくつか発見されているようです。
そうなると、キリスト教の正統派にとっては、キリストが、「普通の人間であった」という事実が強調されてしまい、立場がなくなってしまうのでございます
( ´゚д゚`)エー
この話は、『ダヴィンチコード』(2006年アメリカ)でも触れられており、キリストの子供は娘であったとされて、話題となりました。
映画では、キリストの子孫を、グノーシス派を起源とするシオン修道会が保護しているというストーリーでした。
また、聖書には、「キリストが独身を通した」という記述はどこにもないのです。
・・結局、グノーシス派は、キリスト教の正統派の教義を、強烈に皮肉っているように感じます。
その姿勢は、「社会への疑問」や「反支配」をテーマにした歌を歌い、「10代の教祖」と言われた尾崎豊を彷彿とさせます。
『卒業』(1985年) 作詞・作曲・歌:尾崎豊
「・・行儀よく まじめなんて 出来やしなかった
夜の校舎 窓ガラス 壊してまわった
逆らい続け あがき続けた 早く自由になりたかった
信じられぬ 大人との 争いの中で
許しあい いったい何 解りあえただろう
うんざりしながら それでも過ごした ひとつだけ解ってたこと
この支配からの 卒業・・・」
・・グノーシス派の思想も、どことなく尾崎豊の心情と似通っていて興味深いものです。
これは、抑圧された「魂の叫び」と言い換えてもよいのかも知れません。
そして、グノーシス派は、
「物質世界が悪に属するのであれば、地球は地獄そして牢獄であり、この世の創造主自体が悪魔である」
と極論します
( ´゚д゚`)エー
そうなると、
「悪である創造主と戦った堕天使ルシファーは、正義である」
という論理になるのでございます
工エエェェ(´゚д゚`)ェェエエ工
両者の善悪の立場は逆転し、そこから、悪魔(サタン)信仰が生まれるのです。
また、グノーシス派の思想からすると、旧約聖書でいうイヴをそそのかして知識の実を食べさせた蛇(ルシファー)は、
闇の牢獄に捕われている人間の魂を、知恵・知識の力で解放するためにやってきた光の使者ということになるのでございます。
そして、イエス・キリスト自身も、そのようなルシファーの化身であり、人々を悪の世界から救済するために現れたとするのです。
キリストもルシファーも、「暗闇の中に閉じ込められた人類に光をもたらす」という意味では同じです。
まるで、人類にとっては、夜空に輝く「明けの明星」のようです。
いずれにせよ、キリスト教の正統派とグノーシス派の考えは、とことん噛み合わなかったため、
カトリック教会側は、徹底的に、グノーシス派を弾圧し、西側世界から一掃しようとしました
ヒィー(((; ゚Д゚)))ガタガタ
しかし、グノーシス派の思想は、マニ教やグノーシス派の一派であるネストリウス派(景教)という形で、東方世界に布教の活路を見出し、東洋に浸透してゆきます。
その思想は、どうやら、極東の日本にも伝わって来たようにございます。
そして、今日では、東洋は、西側のキリスト教世界からみれば、悪魔崇拝ということにされてしまうのでございます。
ですが、冒頭に挙げた等号式、
「イエス・キリスト=明けの明星=ルシファー=サタン」
は、グノーシス派、そして、我々東洋人の宗教思想からすると正しいということになります。
・・しかし、近年になって、カトリックの総本山バチカンのローマ法王・フランシスが、なんと
「イエスは神でも何でもない、唯の男だ」
「イエスはルシファー(サタン)の息子」
と言い出したのでございます
工エエェェ(´゚д゚`)ェェエエ工
神の代理人として仕えるローマ教皇による驚天動地の発言は世界中を震撼させました
アヒャアー(((; ゚Д゚)))ヒィーガタガタ
しかし、教皇の発言は、万教帰一という「うねり」の中の、一つの流れに過ぎないのかも知れません。
次回に続く
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コメント
キリストは全知全能の神の一人子で、救世主として
この世に父なる神の計画でこの世に誕生した。
ルシファーではない。
ルシファーとは、天使だった頃のサタンの名前で明けの明星です。
悪魔つきの人間は全く相反する事を書いて神から人を引き離そうとする悪魔の配下の悪霊です。
この記事を書いた貴方もその一人だということ。
投稿: | 2019年8月 7日 (水) 21時07分
あらゆる可能性の存在に目を向けることなく、
原理主義に心を奪われる頭の固い態度は、
悲しいものですね。
どの立場から、対象を観るかによって、
神も悪魔も、変化するに過ぎないのに・・・
投稿: アゲ麿 | 2019年8月 9日 (金) 07時07分
グノーシス主義は単にキリスト教を攻撃するために作り上げられた教義
投稿: | 2020年5月26日 (火) 20時02分
そうでしょうね!
投稿: アゲ麿 | 2020年5月27日 (水) 01時42分