ヒロポンの歴史は、昭和の闇か、原動力か!?
ヒロポンは 日本近代薬学の祖と言われる長井長義博士が開発したもので、大日本製薬(現在の大日本住友製薬)の登録商標であり、純日本製なのでございます
(ill゚д゚)
ヒロポンの名称は、「労働を愛する」というギリシャ語のフィロポノス(philo+ponos)に由来しますが、
「疲労をポンと取る」のキャッチフレーズで親しまれたのでございます。
しかし、もともと、この薬は「メタンフェタミン」剤であり、覚せい剤と化学的には同じです。中枢神経に対して強い興奮作用があります
( ´゚д゚`)エー
ヒロポンは、太平洋戦争が勃発した1941年に、大日本製薬から発売されました。
特攻隊員に「突撃錠」「はっきり薬」としてヒロポンの錠剤が配給されたり、兵士たちの間で使用されたり、また軍需工場の作業員にも与えられたりしていたのでございます。
ヒロポンは、錠剤だけでなく、即効性のある注射用ヒロポンも使用されていたのです。
ヒロポンの効能として、
「疲労回復」から「眠気覚まし」、「作業効率向上」、
はたまた「頭脳の明晰化」までが謳われておりました。
また、ヒロポンを打つと多幸感が得られ、自信と性欲増進をもたらし、長時間にわたる性交を可能にしたそうにございます
( ´゚д゚`)エー
そんな軍部を中心に使用されていたヒロポンですが、終戦と同時に在庫を抱えた製薬会社が、街の薬局で大々的に宣伝して販売しておりました。
ヒロポンは、戦後、夜間労働者や受験生、そして内職の主婦たちの間で、「眠気が消え、頭が冴える」と、口コミで伝わり、薬局でも買えたのです。
この頃、張り込み中の警察官が、眠気覚ましにヒロポンを注射していたという話もあります
( ´゚д゚`)エー
ヒロポンは、「戦後復興の陰の立役者」といわれることさえあるのでございます。
また、この時期、長谷川町子が、『サザエさん』の元になった漫画『似たもの一家』の中でで、
ヒロポンをモチーフにした作品を発表しております。
・・作家の伊佐坂先生が、執筆中の常備薬としていたヒロポンを、
ワカメとタラちゃんに似た子たちが誤って飲んでしまったらしく、
「エヘラエへラエヘラ」とラリっています。
タラちゃんは、なんと、3歳にして、ヒロポンを服用した可能性が否定できないのです
工エエェェ(´゚д゚`)ェェエエ工
原価が販売価格の10分の1というヒロポンは、徐々に、製薬会社の手を離れ、
あちこちに密造所ができ、暴力団の資金源になってゆきました。
闇市に出回ったヒロポンの大部分は密造によるもので、ヒロポンの値段は1本12円と酒よりも安かったために、乱用を招きました。
不純物の多い悪質なヒロポンが世に広まり、とうとう子供までも使い出したのでございます
((((; ゚д゚))))アワワワワ
しかし、そんなヒロポンの薬効が切れると、その反動として虚脱感に襲われ、幻覚、妄想、人格障害などの症状を引き起こします。
いわゆるポン中(ヒロポン中毒)でございます
((((; ゚Д゚))))ガクガクブルブル
常習者は、約1年で依存症になり、1日に何本ものヒロポン注射を打たなければ我慢ができなくなり、ヒロポン欲しさによる犯罪が横行したのでございます。
中毒者による反社会的犯罪も後を絶たず、
精神病院ではヒロポン中毒者が多すぎて収容できない有様であったそうです
ヒィー(((; ゚Д゚)))ガタガタ
こうして、ヒロポンの被害は黙視できないほどになり、「亡国の魔手」と表現されるようになりました。
アヒャアー(((; ゚Д゚)))ヒィーガタガタ
政府は、ヒロポン中毒者による凶悪犯罪を重く受け止め、
昭和26年に覚醒剤取締法を制定し、密造所、密売者摘発に乗り出し、
さらに29年には罰則を引き上げ、
33年には覚醒剤撲滅作戦により、徐々にヒロポンの弊害は沈静化してゆきました。
・・この時期、元コメディアンで俳優の藤田まことは、便所でヒロポンを打とうとする現場を警官に押さえられたのですが、
もったいないから、とっさに注射を打ってしまったといいます。
当時は、19歳の若者だったそうです
( ´゚д゚`)エー
しかし、依存性の強いヒロポン中毒者の需要に対して、ヤミ組織は海外に生産の拠点を移すなどして、細々と供給を続けていたようです。
そのため、ヤクの値段が跳ね上がってしまいました。
( ´゚д゚`)エー
それでも文壇や芸能界では、ヒロポンが広まっていたようで、楽屋でヒロポンを注射する光景が日常的となっていたといいます。
・・ビートたけし氏によると、ツービートが浅草フランス座にいた1970年代でも、「先輩芸人はヒロポン中毒ばかりだった」そうです。
「演芸場には、ダンボールに入ったヒロポンのアンプルが山積みになっていた」といい、また、
江戸っ子は、ヒロポンを "シロポン" と、粋に呼んでいたそうにございます
(;・∀・)
さらに、ビートたけし氏は、
当時売れに売れていた東八郎、
「びっくりしたナァ、もう!」のギャグで有名で、「笑点」の司会者もやっていた三波伸介、
「親亀の背中に子亀を乗せて~」「赤上げて! 白下げて!」のギャグで知られた前田隣(まえだ・りん)、
などが、ヒロポンを使用していたと証言していますが、それがジョークなのか真実なのかは定かではありません。
また、ミュージシャンがヒロポンに手を染めていたという噂も後を絶たず、もしかすると、我々が親しんだ往年の文学作品、そして往年のギャグや歌謡曲も、
ヒロポンの薬効が陰で関わっていた可能性は否定できないのでございます
工エエェェ(´゚д゚`)ェェエエ工
・・・・。
「ビックリしたなぁ、もう!!」
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