傘地蔵について考察する・・
傘地蔵について、自分なりに考えてみたのでございます。
傘地蔵の一般的なストーリーとしては、
・・・ある雪深いところに老夫婦が暮らしていた。
この老夫婦、貧しさのため、正月の餅すら買うことができない。
そこでおじいさんは、町へ笠を売りに行くが、笠はまったく売れない。
帰路、吹雪きの中、おじいさんは七体の地蔵が雪を被っているのを見て、売れ残った笠を地蔵に被せることにした。
しかし、傘が足らなかったため、自分の傘を被せ、それでも足りないので、最後には自分の手ぬぐいまで被せた。
その晩、屋外で物音がしたので表に出ると、餅や米、財宝などが山積みにされていた。
老夫婦は、手ぬぐいをかぶった地蔵を先頭に七体の地蔵が去っていく姿を目撃する。
地蔵の贈り物により、老夫婦は無事、年を越すことができた・・・
というものが一般的です。
特筆すべきは、おじいさんの自己犠牲の精神であり、
これは、スペイン内乱時の「国際旅団」にも匹敵すると言っても過言ではないでしょう。
但し、物語を読み進めてゆくうちに、疑問も浮かび上がってくるのでございます。
疑問その1.花崗岩でできた地蔵が、果たして歩くことができるのであろうか?
疑問その2.そもそも地蔵菩薩は、どこから餅を始めとする物品を調達してきたのであろうか?
疑問その1.に関して、
「石地蔵が歩く」という現象ですが、石仏の直立二足歩行が可能であるとは思えません
( ´゚д゚`)エー
もちろん、お地蔵様がペンギンのように歩いたとしたら、たいへんメルヘンチックではございますが、
ロボットですら二足歩行が可能になったのは、ここ最近の話でございます。
ただし、石仏の歩行が、一種のポルターガイスト現象(物理的霊現象)であったり、
あるいは、石仏に宿っていた霊体が抜け出し、エクトプラズムとして実体化したということであれば、
現代の科学では説明できないものの、ある程度の納得はできるかもしれません。
マロ的には、むしろ、「疑問その2.」の方が、重大な意味を持つと感じているのでございます。
いったい、お地蔵様は、どこから餅を始めとする物品を持ってきたのか・・・
もちろん、無から物質化した可能性もあるかと思いますが、、
老夫婦が喜んでいる陰で、泣いている人は本当に居なかったのか?
あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ、盗品等無償譲受け罪やで~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
・・・・。
道徳的な物語なだけに、なまら余計な心配をしてしまうマロにございました
(-_-メ)
※あさましくもブログランキングに参入しております!
やんごとなき訪問者様、一日一クリックで、いざ超猪鹿蝶の世界を広めませう!!
全部押してもらうとご先祖様が喜びまするヽ(・∀・)ノ ワーイ ヾ(・∀・)ノ ウキャキャ ヽ(´∀`)ノ アヒャアヒャ
| 固定リンク
コメント
お久しぶりです
シュールな話ですね~
傘地蔵堂
地蔵といえども
菩薩様ですから…
ここは、鋼の錬金術か羽賀賢治のトーク術なみの等価交換があったのでしょうな~
光と影は表裏一体
昔話は市原悦子なみの奥深さ
投稿: みかん | 2010年3月27日 (土) 23時57分
傘地蔵は、花咲じいさんとは異なり、善と悪との対比という物語構成とはなっていません。
純粋に、因果応報が主題となってくると思うのです。
老夫婦も、宝物を安易に受け取ってはいけません。
ちなみに、おじいさんが手ぬぐいを被せる場面は、「ふんどしを被せた」という異説もあるようです。
投稿: アゲ麿 | 2010年3月29日 (月) 00時49分